昭和52年新調ス
調べると、昭和52年というのは高度成長期の直後ぐらいである。
戦後から高度成長期の間は、国民が一丸となって復興に励み、
貧しいけれど近年では一番元気があった時代だったと思う。
それが一段落した昭和40年代から少しずつ、人々が贅沢できる余裕が生まれていく。
少し前に、年代ごとに1話ずつ抜粋して3話で構成された、
古いアニメのスペシャル番組をテレビで見ていて少し驚いたシーンがある。
それは子供たちがいつも遊ぶ広場でのことなのだが、
不法投棄された家具、家電などが集まっている一角があり、
ガキ大将がそれに対し、
『今や使える物でもどんどん捨てて買い換えるのが文化である』
というようなことを言うのである。
調べてみると、それは1969年の作品だった。
物を大切に使うことは美徳とされるが、
貧しくて使い続けるしかなかったという事情もある中で
景気がみるみる上昇してそのリバウンドであるかのように
もちろん一部のことだろうが、古いものはかっこ悪い、
これからは次から次へ買い換えるのがトレンドという風潮になったのだろう。
実は、1969年は私が生まれた年である。
そこには企業の戦略もあったのかもしれないが、
それも含め、その時代にすでにそんな流れになっていたとは、
このアニメを見るまではイメージがまったくなかったので驚いたのだ。
それでも、やはりそれは一部のことであって、昭和52年(1977年)
にはまだまだ物を大切にしようという心は強かったのだろう。
この、立ち退き跡の染物屋の桶の底に書かれた文字や、
事情は分からないが生活がそのまま置いて行かれたような空き家を見ると
いつものことだが、なんとも言えない気持ちになった。
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Vermillion
有栖川公園の隣のグラウンド前のタチアオイなのだが、今年はやけに赤かった。
たしかにここのタチアオイは赤いものがあると記憶しているのだが、
ここまでほとんどが赤い花だった年は、この6年でもなかった気がする。
どんな花も、色や大きさ、花びらの質感などが年毎にけっこう違うのだと、
散歩写真を撮り始めてから気づいたのだけれど、
最初は何本かの赤が珍しくて撮っていた記憶があるほどなので、
今年のこの、息苦しさを感じるほどの赤の群れはやはり異常なのだろうか?
そういえば、今まで気づかなかったような場所のタチアオイが、
今年はやけに背が高く、群生している気がするな。
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この日は、有栖川方面に向けて仙台坂を上るまではいつも通りだが、
ちょっと久しぶりに本村小学校がある南麻布3丁目あたりをぶらぶしてから
グラウンド周辺を撮り、元麻布を通って帰るコースを歩いた。

モーモーベルとかアンテナマンとかラスティスマイルとか・・・

小さい花たちにもたくさん会えた。
もう少し鮮やかなフィルムを入れていても良かったかな、と思う。
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