ポストカード
2013 秋
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今年6月から、Barですが職場でポストカードを販売しています。
思いがけず好評をいただき、新作追加ごとに必ず買ってくれるお客さまや、
逆に今までお店に来たことのなかった友達が、カードを見がてら飲みにきてくれたり。
このところ誘ってくれる人がいて、今まで行く機会が皆無に等しかった写真展でも
再認識したのですが、どうも私は額に入れられた写真をじっくり鑑賞するというのが、
人のであっても自分のであっても苦手なようです。
私の写真を見て個展をした方がいいと言ってくださる方などもいるのですが、
そういうことには今までまったく魅力も意欲も感じませんでした。
絵や美術品、骨董品、出土品などを見るのは好きなんですけどね。
私の中で一番しっくりくる写真の鑑賞方法は、写真集でしょうか。
今の時代なら、まさに自分がしているスライドショー形式のウェブアルバム。
個展以上に、ポストカードを作ってほしいと言ってもらうことは多かったのですが
この6月までは自分の写真で作ったカードを売ることは考えていませんでした。
途中から、学生の頃はポストカードも好きで集めていたことを思い出し、
自分の写真の原点はここだったのかもしれないという気もしてきています。
私個人の感覚では、写真はあくまでも写真。自分が絵を描けたり、
何かを創ることができればそれは芸術なりアートと言える気がするのですが。
写真はまず記録するためのものであり、それが記憶にも繋がる。
変化するものを写し、像の中でその時を止めても画像自体は色褪せもすれば、
周りでは時が進み時代は変わり、そもそもその実体自体は朽ちたり消滅もする。
絵より忠実に写し取りながらも、むしろ忠実に写し取るからこそ?
その存在のその瞬間のみが特定されて、ほかのどの瞬間とも違うものにもなる。
そんなことをつらつら考えていると、写真は『動』だと思うのです。
特に私の写真は、消えてゆくものを『未来の記憶』として撮っています。
1枚1枚の写真というより、1日、または1本単位の記憶という感覚に近いのです。
そんな、変化するものを動きながら撮っている写真ですから、『ページをめくる』とか、
ウェブなら『クリックする』もしくはスライドショーで『自動的に切り替わる』というような、
動きの中で見てもらえた方が自分にとっては違和感がない気がします。
それも普段の生活の中で、気が向いたときに、気が向いた時間だけ。
そう考えると、ポストカードという形はますます理に適っているのかもしれません。
「これきれい!」とか、「これはどこ?」とか、賑やかに会話をしながら選んでもらう。
飾るために買ってくれる人もいれば、葉書として使う人もいる。
飾ったところでいつでも気軽に差し替えて気分を変えることもできるし、
まったく知らない誰かがそのカードを受け取って写真を見てくれたり、
逆に意にも介さずにそのままゴミ箱に捨てられたりすることも多いと思います。
でも、それこそがまさに、私が『撮っているもの』だという気がするのです。
ほかにも2店舗、置いてもらっているカフェもあり、こんな感じになっています。
また違うご縁がきっかけで、最近ウェブでも購入できる環境を整えたのですが、
これをビジネスにするつもりはなく、当面は知人向けのみに公開していくつもりです。
これを読んでくださった方が、どこかで私のカードを見かけるようなことがあれば、
それもまたとっても楽しいご縁です。いつかそんなことが起こるといいな…
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アルバムはメインサイト路地裏の花たちにて。携帯サイトはこちら↓
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コメント
Mさん
コメントありがとうございます。
そういえばつい先日、私の写真の話で友人が、
「あびさんの写真はあびさんの写真」と言っていました。
自分にしか撮れない写真を撮れているなら嬉しいですが。
投稿: ABBY | 2013/10/20 21:58
あびさんの写真には、あびさんのクレジットがあぶり出しで浮き上がってくる感じ
う〜ん、上手く表現が出来ないけど・・・
投稿: M | 2013/10/20 21:11