Blue RIVER(42)
*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*
多分私は、海よりも川が好きだ。川が身近にあったせいだろうか。
古川という川は、子供の頃はどぶ川に近い扱いをされていた。
高度成長期辺りから生活排水だけでなく、
町工場の工業排水も垂れ流しだったせいだろう。
もっと昔、義理の父の子供の頃は、川に入って遊んでいたらしいが、
確かに、特に梅雨時から夏にかけては、悪臭が漂っていた記憶がある。
そして今でも、特別きれいな川では決してない。
まして田舎の川のイメージから比べれば、まったく違うものだと思う。
それでも、鯉が住み、カモやサギ、セキレイがくるまでには復活した
(現在は落合水再生センターで高度処理した再生水を送水しているとのこと)。
川、というか水の流れている場所に、どういうわけか惹かれる。
橋を渡るときについつい、川を覗き込んでしまう。
そこには得体の知れない何かがいるような気がして。
だから古川にかかる橋を渡る時も、必ず一度は川を覗く。
夏は夏で、独特の磯臭い匂いで季節を感じてほっとする。
今は長い工事に入ってしまった一の橋公園の橋の、
定時の噴水に至っては、時々わざわざ見に行くほど好きだった。
木の橋と紫陽花、そして最初の頃の木の船は素敵な景色だった。
そんなに好きな川にも関わらず、古川が海に注ぐ場所を見たことがなかった。
むしろ古川は古川であって、当然海に繋がっているのは知っていても、
ほとんど流れのない川を見てきたからか、どこにも行き着かない、
細長い池のような感覚だったのかもしれない。
そんなわけで、この日は古川が東京湾に流れ込むところを
見に行こうと思い立ったのだった。
赤羽橋から首都高の下を、古川に沿って芝園橋、将監(しょうげん)橋、
金杉橋と進んで行き、浜松町で小さなトンネルを通って山の手線を越えると、
しばらく川がフェンス越しに見え隠れしてしまう。
そしてそれが過ぎた場所が、海だった。
それを目の当たりにした瞬間、感動を覚えた。
どこにも行き着かないと思っていた川、古川は、
ちゃんと海に辿り着いていた。
この日は、わざとタングステン用のフィルターをつけて撮ったので
写真では分かりづらいが、ものすごい陽射しの晴天だった。
時間帯もちょうど正午過ぎで、風があったせいで歩けたが、
トップライトの港では携帯で写真を撮ってもモニタがまったく見えないほど。
こんな晴天で風がある日、陽射しさえ辛くなければ、
海上はさぞ気持ちいいことだろう。
*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*---*
アルバムはメインサイト路地裏の花たちにて。携帯サイトはこちら↓
| 固定リンク
最近のコメント