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2011年1月の投稿

2011/01/29

存在,非存在(28)

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いつも、わざわざこんなに難しいものを撮らなくていいのに…と思いながら撮るが、

出来上がった写真を見ると、たいてい、撮っておいて良かったとも思う。

 

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この日は、旦那さんと。

以前何度か一緒に写真散歩に誘って付き合ってもらったことがあるが、

寒いだなんだとうるさいので最近はすっかり誘わなくなっていたのだが、

ここのところ何度か一緒に歩く機会があった。

食事がてらのルートは、赤羽橋から三田通り沿いに慶応の辺りへ。

 

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そして本当に久し振りに、慶応仲通り、通称慶仲をぐるりと見回る。

昔、友達がバイトしていた木造の喫茶店があったが、さすがにもうなさそう。

同じ頃まで、六本木の交差点にも木造の喫茶店があったっけ。

渋谷センター街入り口、今のツタヤがある場所にあった喫茶店は、

いつも名前が思い出せないのだけど、古いけど木造ではなかったかな。

どちらの町も、中学、高校時代は毎日のように遊んだ場所。

その頃から写真を撮っていればと、こうして撮るようになった今、思わない日はない。

 

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アルバムはメインサイト路地裏の花たちにて。携帯サイトも♪

 

Qr

 

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2011/01/07

RED world(23)

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ひさーしぶりのレッドスケール。

これも期限が切れていて焦って使ったもの。

久し振りに撮ってみると、こんなにキレイだっけ?!と思う仕上がりで驚いた。

ただ、このフィルムの発売後すぐに出した時は問題なく現像してもらえたのだが、

2年以上経った今、私がいつも使っているパレプラでは現像はNGになっていた。

それだけでなく、冨士のラボへの外注もNGになってしまっていた。

C41現像を謳ったフィルムだが、説明を聞いたところ、

荒業とも言える発色の原理「フィルムを裏返しに使っている」ためだった…。

さすがLomography。

 

さて、そんな赤い発色が魅力のレッドスケールだが、

実はこのフィルムを使おうと思うたびに、使いどころを決め兼ねて保留してしまう。

最初に使った時は「紅葉」だったのだが、それ以外の使い方を思いつけなくなってしまった。

そして結局、今回も紅葉を撮る。そしてやっぱり、紅葉に向いていると思った。

どうも、モノトーンの写真となると、構えてしまうのだろうか。

撮り終わった写真を見るときには、撮ってよかったといつも思うのだけれど。

 

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この日は芝公園にある港区役所に行く用事がてら、~浜松町の町並みを。

うーん、浜松町は古い建物が少なくなっていた…。

帰りに増上寺、東京タワーを通って帰宅。

家ではこんなひとコマが。

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アルバムはメインサイト路地裏の花たちにて。

 

2/27、携帯サイトOPENしました♪

Qr

 

 

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2011/01/03

音のない崩壊 -2-(19)

虎ノ門3丁目から引き返し、桜田通りを戻る途中、右手の細い坂を上ることにした。

この坂の上に当たる「仙石山」は旧町名だが、建物名や石碑など、今でもその表記が多い一帯。

いつも私が歩く立ち退きストリートはちょうどこの南の崖下になり、旧町名を「我善坊町」という。

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さて、この仙石山もまた昭和の雰囲気の残る、不思議な空気が漂う一角だった。

しかし進むにつれ、不思議な空気は、すぐに嫌な空気に変わっていった。

趣のある日本家屋の横からは、すべてを遮断するかのように、工事現場の巨大なガード。

まるでどこかの撮影スタジオのセットに見えるのは私だけだろうか。

(ちなみに3週間後にはガードがさらに建物に迫ってぴったりと貼り付き、この細い道すらなくなっていた)。

 

三が日の最終日、まだ町全体も人は少なく、ましてやこんな立ち退きの進んでいる場所で、

工事も停まっている正月となれば気味の悪いほど生命の気配までないようで、

その静まり返った独特の空気に、何か現実ではない場所へ迷い込んだような感覚になる。

さらにその建物につけられたこんな看板が、ますます異様な雰囲気を醸し出している。

社名も社名だが、局番3桁の電話番号は1981年に全区4桁に移行したので、確実に20年以上前のもの。

その場の諸々現実離れした様子は、まさにすべてが映画のセットだといわれたほうがありがたいほどだ。

 

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崩壊という言葉しか、浮かんでこなかった。動くものは何もない。

風さえなくて、木の葉すらそよともしない、死んだような世界。

その何も動かなくなってしまった死後の世界の中で、

ある塀越しの空き地に1羽の山鳩を見つけた。

それは私にまたさらに、嫌な連想を起こさせた。

 

群れていないと生きていけないほど生存力が弱いため、

常に空を埋め尽くすほどの大群で生息していた鳥、リョコウバト。

その群れは何億、時に何十億とも言われるほどの大群で、

総数ともなれば50億、世界で最も数の多い鳥だと推測されていた。

しかしその鳥は、食用、羽毛の採取、さらには狙わなくても撃てば当たるほどの大群に

ただ撃ち落すことを楽しみとした人間たちに乱獲されて激減し、絶滅した。

しかも当初のその数があまりにも多かったため人間は楽観し、

その保護が真剣に取り合われたときには、すっかり手遅れになっていたのだ。

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そのリョコウバトの最後の生き残りだった、マーサ。

私はあの、ネットで見たマーサの瞳が忘れられない。

今でも悪夢のように、脳裏に焼きついているあの表情。

ロンサム・ジョージもそうだが、絶滅を前にした種の最後の1匹(羽)は、

自分が最後の1匹だということを知っている目─絶望と悟りの目─をしている。

人気のない、世界の終わりのようなこの場所で出会ったたった一羽の鳩からは、

そんなマーサのことしか思い浮かばなかった。

 

 

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そしてその先の─町が、すっぽりなくなっていた。

しかも前方にそびえるのは、『再開発』の象徴、六本木ヒルズ。

その道を通る頃にはすでに嫌悪感すら麻痺していた気がする。

ただただ、その光景とあまりの生命の気配のなさに、

ひたすら、作り事のような違和感を感じるだけだった。


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町が、消えた。

このガードで隔離された風景は、映画『20世紀少年』で隔離された

東京を思い出させて、空恐ろしい気持ちでいっぱいだった。

町の崩壊。都市の崩壊。

それはバブル時代に目にした風景とよく似ている。

似てはいるが、これだけ残されたものが少なくなってしまった今、もうその後はない。

リョコウバトやその他数え切れない生き物を絶滅に追いやった人間の楽観は、

ここでも同じように繰り返されているのだと思う。

 

いつか近い未来に、どれだけの人間が、取り返しのつかない都市の破壊に気づくだろう。

それとも、そんな感覚すら、持たずに順応していくのだろうか。

後者が正解なような気がして、私にはそれが無念でならない。

 

 

後日、この道と、ここから左側(我善坊町側)を撮った携帯画像。

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そのままこの隔離地帯を抜けて坂を下ると、いつもの我善坊町に出る。

我善坊町側から見た仙石山町。青空に巨大なクレーンが痛々しい。

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そして、同じ場所から同じ場所を、9月に撮った写真があったのを思い出した。

この時はただ漠然と、ありえない壊し方に驚いて撮っておいたものだが、

まさかその現場がここまで崩壊した町になっていようとは、その時には気づいていなかった。

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アルバムはメインサイト路地裏の花たちにて。

 

 

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音のない崩壊 -1-(30)

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何かを探している風だった2人連れ。今はなくなってしまった建物だろうか。

 

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この日は、ルートというより、目的地を目指しての出発。

さすがに自力で思いつけるだけの場所を歩きつくした気がするので、

気になる場所を地図を使って見つけ、そこに行くことにした。

 

そうやって決めたこの日の目的地は、虎ノ門3丁目交差点付近の小さな一角。

しかし、たどり着いたその場所でもすでに半分方、立ち退きや取り壊しが行われ、

歯抜け状態に空き地や駐車場が点在する風景へと変わってしまっていた。

この数年で、慣れたくもないのに見慣れてしまった風景だ。

残り半分の建物や町並みには昔の面影が濃く、その対比がいつもながら胸に痛い。

そしてこうなる前に撮りにこなかった自分を呪いたくなるほど後悔。

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自転車だけでなく、バイクも生き物に見える被写体のひとつだ。

 

 

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ある家の軒下をふさぐように、ぎっしりと置かれた植木のところに大きな猫が座っていて、

いつも当然のようにそうするのだが、この日も挨拶の声をかけた。

すると、その奥の軒下から、何か大きなモノが動くごそごそという音と気配が。

待っていると、これまた大きい黒猫がのっそりと出てきた。

半信半疑だったが、足元に擦り寄ってくる人懐こさを見る限り、

挨拶をした人間の声に反応して、わざわざ出てきてくれたらしい。

ふたりとも毛並みはキレイだし太っていて健康そうだし、とても嬉しかったのだが、

顔に新しい傷もあったりして、万一自宅の猫に菌を持って帰るのが怖いので、

ほとんど触ってあげられなかった。せっかく出てきてくれたのに、ごめんね。

 

その一角の奥に、ものすごく古い、大きめのアパートがあった。

立ち退きの終わった建物によく見るネットに覆われていたので空き家かと思ったら、

1戸には灯りがついていた。住人はその部屋だけではないだろうか。

そしてその住人が出て行けば、すぐにここも取り壊されるのではないだろうか…。

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また桜田通りに出て、来た方向へ戻る途中、広大な空き地を発見。

残された看板には『港区エコプラザ』とある。あとから調べると移転したらしい。

木の電柱を久し振りに見たが、これもすぐなくなるモノ…。

昨年は虎ノ門パストラル(農林年金会館)もなくなり、この地域の変化には凄まじいものがある。

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この日、このあと、私にとってはさらに憂鬱な光景に出会うことに。

枚数も多くなってしまったので、この日のメモは、次のブログにつづく

 

 

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アルバムはメインサイト路地裏の花たちにて。

 

 

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