音のない崩壊 -2-(19)
虎ノ門3丁目から引き返し、桜田通りを戻る途中、右手の細い坂を上ることにした。
この坂の上に当たる「仙石山」は旧町名だが、建物名や石碑など、今でもその表記が多い一帯。
いつも私が歩く立ち退きストリートはちょうどこの南の崖下になり、旧町名を「我善坊町」という。
さて、この仙石山もまた昭和の雰囲気の残る、不思議な空気が漂う一角だった。
しかし進むにつれ、不思議な空気は、すぐに嫌な空気に変わっていった。
趣のある日本家屋の横からは、すべてを遮断するかのように、工事現場の巨大なガード。
まるでどこかの撮影スタジオのセットに見えるのは私だけだろうか。
(ちなみに3週間後にはガードがさらに建物に迫ってぴったりと貼り付き、この細い道すらなくなっていた)。
三が日の最終日、まだ町全体も人は少なく、ましてやこんな立ち退きの進んでいる場所で、
工事も停まっている正月となれば気味の悪いほど生命の気配までないようで、
その静まり返った独特の空気に、何か現実ではない場所へ迷い込んだような感覚になる。
さらにその建物につけられたこんな看板が、ますます異様な雰囲気を醸し出している。
社名も社名だが、局番3桁の電話番号は1981年に全区4桁に移行したので、確実に20年以上前のもの。
その場の諸々現実離れした様子は、まさにすべてが映画のセットだといわれたほうがありがたいほどだ。
崩壊という言葉しか、浮かんでこなかった。動くものは何もない。
風さえなくて、木の葉すらそよともしない、死んだような世界。
その何も動かなくなってしまった死後の世界の中で、
ある塀越しの空き地に1羽の山鳩を見つけた。
それは私にまたさらに、嫌な連想を起こさせた。
群れていないと生きていけないほど生存力が弱いため、
常に空を埋め尽くすほどの大群で生息していた鳥、リョコウバト。
その群れは何億、時に何十億とも言われるほどの大群で、
総数ともなれば50億、世界で最も数の多い鳥だと推測されていた。
しかしその鳥は、食用、羽毛の採取、さらには狙わなくても撃てば当たるほどの大群に
ただ撃ち落すことを楽しみとした人間たちに乱獲されて激減し、絶滅した。
しかも当初のその数があまりにも多かったため人間は楽観し、
その保護が真剣に取り合われたときには、すっかり手遅れになっていたのだ。
そのリョコウバトの最後の生き残りだった、マーサ。
私はあの、ネットで見たマーサの瞳が忘れられない。
今でも悪夢のように、脳裏に焼きついているあの表情。
ロンサム・ジョージもそうだが、絶滅を前にした種の最後の1匹(羽)は、
自分が最後の1匹だということを知っている目─絶望と悟りの目─をしている。
人気のない、世界の終わりのようなこの場所で出会ったたった一羽の鳩からは、
そんなマーサのことしか思い浮かばなかった。
そしてその先の─町が、すっぽりなくなっていた。
しかも前方にそびえるのは、『再開発』の象徴、六本木ヒルズ。
その道を通る頃にはすでに嫌悪感すら麻痺していた気がする。
ただただ、その光景とあまりの生命の気配のなさに、
ひたすら、作り事のような違和感を感じるだけだった。
町が、消えた。
このガードで隔離された風景は、映画『20世紀少年』で隔離された
東京を思い出させて、空恐ろしい気持ちでいっぱいだった。
町の崩壊。都市の崩壊。
それはバブル時代に目にした風景とよく似ている。
似てはいるが、これだけ残されたものが少なくなってしまった今、もうその後はない。
リョコウバトやその他数え切れない生き物を絶滅に追いやった人間の楽観は、
ここでも同じように繰り返されているのだと思う。
いつか近い未来に、どれだけの人間が、取り返しのつかない都市の破壊に気づくだろう。
それとも、そんな感覚すら、持たずに順応していくのだろうか。
後者が正解なような気がして、私にはそれが無念でならない。
後日、この道と、ここから左側(我善坊町側)を撮った携帯画像。
そのままこの隔離地帯を抜けて坂を下ると、いつもの我善坊町に出る。
我善坊町側から見た仙石山町。青空に巨大なクレーンが痛々しい。
そして、同じ場所から同じ場所を、9月に撮った写真があったのを思い出した。
この時はただ漠然と、ありえない壊し方に驚いて撮っておいたものだが、
まさかその現場がここまで崩壊した町になっていようとは、その時には気づいていなかった。
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アルバムはメインサイト路地裏の花たちにて。
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