時空(31)
未来の自分自身のために遺す 名もないものたち
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その日、いつもは素通りするコインパーキングを通りかかった時、
ふと何かに導かれるようにそこに足を踏み入れた。
特に変わった様子もない、この辺りではありきたりな駐車場。
建物が壊される度に、次の建設までの間の有効活用として作られ、
短い時には、1か月くらいでなくってしまうこともある類の。
その駐車場の突き当たりに竹やぶが見えて、
見るともなくその奥までフラフラ歩いていった。
そして柵の向こうを見た瞬間、目に飛び込んできたのは池。
池?
とっさのことで、頭の中が混乱した。
そこに行く前に近くの有栖川公園で池を撮ったばかりだったので、
その池と繋がっているのかと錯覚したほどの大混乱。
地理的に、そんな筈などある訳はないのに。
でも、それならなぜここにこんな池が。
しかもマンションの敷地内。
漸く頭の中で筋道だった思考がまとまりはじめる。
これは…がま池だ。
蝦蟇池。
それは30年以上前、私が小学校の低学年の頃にマンションの一部となり、
大部分が埋め立てられてしまった幻の池。
見た事がないのか、それとも見たのに幼すぎて記憶に残っていないのか、
私の中では長い間、畏怖さえ伴う憧れの対象になっていた場所。
いつもその閉ざされたマンションの前を通る度に、
悔しさと歯がゆさで胸が締め付けられる想いを味わっていた。
江戸時代に大火事があったとき、この池のガマ蛙が火事を消し止めたという伝説がある。
それは麻布七不思議にも数えられ、かつては500坪もの広大な池だった。
その池が思いがけず、目の前に現れた。
それもそこに何かが建つまでの短い期間限定だ。
ここに何かができてしまったら、生きている間には、おそらく二度と、
この池をまともに見ることはできないだろう。
もしくは、池自体が完全に埋め立てられてしまうのが先かもしれない。
(事実、何年か前にもその危機があり、池の面積はさらに小さくなったのではなかったか)
昔、この池から5~6分ほど離れた場所に住んでいた。
雨が降ると必ずこの池からガマ蛙がたくさん出てきて、
私の住んでいた家の方まできてはすぐに車に轢かれてしまうので、
道にさまよい出た蛙を見つける度に、子供の感覚では猫ほどもある
大ガマを抱き上げて、道の脇の草むらなどまで運んでいたものだ。
そのときの蛙たちが、そしてその池そのものが、
長い間見たい見たいと想っていた私の気持ちに応えるように、
『今なら見えるよ』
『見ていいよ』
と、あとから考えれば考えるほど、呼んでくれたような気がしてならない。
カメラを構えられる位置が限られていることと日差しの関係上、
非情にわかりづらい写真になってしまったけれど、
池の水面に映っているのはこの池を所有するマンション。
表側からは、一切この池の姿は見られないようになっている。
それ以外にも、過去にタイムスリップしたような光景を目にした日。
まさに時空をすり抜けたような一日だった。
アルバムの中のペパーミントブルーの店があるビル、
駐車場に横の古いアパート、エノコロ草が生えた駐車場も、今はもうない。
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アルバムはメインサイト路地裏の花たちにて。
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