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2007/12/09

静寂の音(38)

03

 

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この日は、麻布十番から善福寺を抜けて仙台坂を上がり、

有栖川公園で紅葉を撮って、元麻布から帰るという定番ルート。

 

12月だというのに夏のような日差しと気温で、風も強いのに歩くと汗ばむほどだった。

この日、初めてのセンチュリアを入れていたのだが、

善福寺のこの大銀杏と青空には最適なフィルムだったかもしれない。

いつも使っているアグフアは、空はそんなに得意ではないから。

 

24

 

特に紅葉をあてに出かけたわけではなかったのだが、

公園ではこんなに鮮やかにもみじが色づいていた。

立ち止まっていれば風も太陽も適度に心地よくて、

今まで体験した中で、二番目に素晴らしい快晴の日。

すべてのものが輝いていて、神聖な空気が漂うほど。

いつもなら撮っていないときはずっと歩きっぱなしの散歩なのに、

珍しく公園で一休みして天気と紅葉を味わっていたら

そこから動きたくなくなってしまったほどだ。

そもそも、子供の頃からなじみのある有栖川公園で、

こんなに綺麗な紅葉が見られるというイメージはなかった。

これならわざわざ、遠くまで出かけて撮る必要などないではないか。

それに味を占めてこの翌年、翌々年も同じくらいの次期、

紅葉を狙って足を運んでいるのだが、この2年はまったくの空振り。

最初の偶然が一番素晴らしい、というパターンの最たる例かもしれない。

 

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34

 

【柳の木】

柳の木が切られてい た。
好きだった木。
差し押さえで廃屋になっていた家のものだった。
住む者がなくなり、枯れかけては、いたのかもしれない。 
だからといって、それが切られてしまったのを目の当たりにすれば心は重い。
その柳の、春から夏は緑の葉をくぐり、
秋から冬は、寂しげにたれた枝をく ぐったものだ。

春が来ればまた芽吹き、見事な姿を見られるものと、
その繰り返しに終わりが来ることなど、
夢にも思 い浮かぶことなどなかった遠い日に。

 

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16

 

【最後の亀】

公園で写真を撮っていたら、
池の淵にいたおじさんに声をかけられた。
釣り 糸を垂れるわけでもなく、何をしているのだろう…
と思っていたところだった。
自分に言った言葉なのか判断できないほど、
ぼそり、とした呟きのような口調だった。

「亀の甲羅干し」

見ると1匹の石亀が 落ち葉に囲まれて、
まるでウトウトしているかのようだ。
カメラを持って歩いている私に教えてくれたのだろう。
ありがたく写真を撮っていると、またポツリ と。

「最後の亀」
 

一瞬、

え?

と思った。

 

落着いて考えてみればなんということはない、
ほかの亀はみんな冬眠に入ってしまい、
その亀だけがまだ残っているということだったのだけれど。





最後の亀。

 

私には、その亀が最後の生き残りのように思えてしまった。
一瞬の勘違い、そしてその刷り込みといえばそれまでなのだが。


最後の亀。

 

その日、夜になっても、翌日の朝になっても、
そのフレーズ、
そのイメージは、
なかなか頭から消えてはくれなかった。
地球上に残った、最後の一匹の亀のイメージ。

 

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33

 

マンションの建物へと続く私道の坂。
銀杏、椎、月桂樹などの木がある。

 

【マツダマンション】

私が母と住んでいた家と、叔母の家は目と鼻の先で、
幼稚園から中学校まで、私はふたつの家を行ったり来たりで育った。
叔母の家は当時珍しいアメリカ形式のマンションで、
庭もあり、子供にとってはまたとない遊び場所だった。

その敷地はちょっとした丘になっていて、
建物自体はその丘の頂上に建っていた。
裏には小さな公園もあり、庭の木々と公園の桜、
エ ントラ ンスの坂には椎の実と月桂樹、銀杏。
子供心にも夢のような場所だった。
以来今まで、その場所に戻ることが叶わぬ夢になっている。

そこは20何年か前に新しい高級マンションになり、
その後も毎日その前は通っていたけれど、
足を踏み入れるこ とはなかった。

部外者立ち入り禁止。

そんな雰囲気で溢れていたから。
もう二度と、そこに立ち入ることはできないのだと思っていた。



今朝までは。



ここ半年写真を撮るようになって、
ま たその付近に足繁く通うようになり、
件のマンションの前も、何度も往復していた。
いつもその中を見上げ、拒否され、立ち入ることな く。

なぜか今朝は気が向いて、ふと坂を上ってみた。

丘の上に行くまでもなく、
抑える間もなく、
ただ立ち止まって泣くしかなかった。

足下を見ると、銀杏の実が落ちている。
あの日、母と拾った実と同じ木の。



ここにすべてを置いてきた気がする。

 

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37

 

【最後の日】

 

最後の亀。


最後の日。


もう、撮っているものすべてが、
毎日、その日が見納めかもしれないものばかりだ。

昨日そこにあったものが、
明日にはもう、失くなってい る。

毎日どこかで。
その繰り返し。





今日の最後の日は今日。


あ の柳の最後の日
私は何をしていただろう。



せめてあの柳の木が最後に見たものが
この日の空のような
青い  青い

澄んだ青空でありますように…。

 

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アルバムはメインサイト路地裏の花たちにて。

 

 


 

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