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2007年12月の投稿

2007/12/31

ゆく年くる年 2007~2008(12)

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健やかな年でありますように

 

 

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この10年以上、暮れは大久保の穴八幡へ行くのが恒例になっている。

近くの商店街は懐かしい雰囲気を残し、この店は普段は和菓子屋のようだが、

年末のショーウィンドウは鏡餅が壮観に並ぶ。

商店街のはずれには、絶品の蕎麦屋もある。

 

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2008年の元旦の天気は、今でもとても印象に残っている。

夏ならまるで台風前のような、明るく光は射しているのに、

今にも降り出しそうな厚い雲に覆われた、ダークシルバーの空。

普通の曇天とは、写真の写りもまったく違う。

 

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正月前独特の少し浮かれたような活気のある屋台の前を抜けて、

一陽来復のお札と「難を避ける」銀杏細工の干支飾りを買い、

停めてあった車に戻ると、一番の宝物が迎えてくれた。

 

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新年の初詣は、近所の増上寺。

ここの古い境内は友人の父親が建てたこともあり、縁が深い場所でもある。

 

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アルバムはメインサイト路地裏の花たちにて。

 

 

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2007/12/23

交差する時間(41)

17

 

 

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12月23日、麻布十番、三田小山町、元麻布。30日、麻布十番と元麻布。

変わりゆく町の中で、古いものばかりを撮っているが、

この日の写真はその対比が特に表われていて、

見ているとまるで過去と未来の時間軸が交わっているような錯覚を覚える。

 

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麻布十番温泉の材木置き場の前にあったリヤカー。

この4ヵ月後にこの温泉がなくなるとは、夢にも思っていなかった。

昔はこの向かい側に材木置き場があって、

小学校の帰りによくその前を通っていた。

 

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アルバムはメインサイト路地裏の花たちにて。

 

 

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2007/12/16

時空(31)

25

 

未来の自分自身のために遺す 名もないものたち

 

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その日、いつもは素通りするコインパーキングを通りかかった時、

ふと何かに導かれるようにそこに足を踏み入れた。

特に変わった様子もない、この辺りではありきたりな駐車場。

建物が壊される度に、次の建設までの間の有効活用として作られ、

短い時には、1か月くらいでなくってしまうこともある類の。

 

その駐車場の突き当たりに竹やぶが見えて、

見るともなくその奥までフラフラ歩いていった。

そして柵の向こうを見た瞬間、目に飛び込んできたのは池。

 

池?

 

とっさのことで、頭の中が混乱した。

そこに行く前に近くの有栖川公園で池を撮ったばかりだったので、

その池と繋がっているのかと錯覚したほどの大混乱。

地理的に、そんな筈などある訳はないのに。

でも、それならなぜここにこんな池が。

しかもマンションの敷地内。

漸く頭の中で筋道だった思考がまとまりはじめる。

これは…がま池だ。

 

蝦蟇池。

それは30年以上前、私が小学校の低学年の頃にマンションの一部となり、

大部分が埋め立てられてしまった幻の池。

見た事がないのか、それとも見たのに幼すぎて記憶に残っていないのか、

私の中では長い間、畏怖さえ伴う憧れの対象になっていた場所。

いつもその閉ざされたマンションの前を通る度に、

悔しさと歯がゆさで胸が締め付けられる想いを味わっていた。

 

江戸時代に大火事があったとき、この池のガマ蛙が火事を消し止めたという伝説がある。

それは麻布七不思議にも数えられ、かつては500坪もの広大な池だった。

その池が思いがけず、目の前に現れた。

それもそこに何かが建つまでの短い期間限定だ。

ここに何かができてしまったら、生きている間には、おそらく二度と、

この池をまともに見ることはできないだろう。

もしくは、池自体が完全に埋め立てられてしまうのが先かもしれない。

(事実、何年か前にもその危機があり、池の面積はさらに小さくなったのではなかったか)

 

昔、この池から5~6分ほど離れた場所に住んでいた。

雨が降ると必ずこの池からガマ蛙がたくさん出てきて、

私の住んでいた家の方まできてはすぐに車に轢かれてしまうので、

道にさまよい出た蛙を見つける度に、子供の感覚では猫ほどもある

大ガマを抱き上げて、道の脇の草むらなどまで運んでいたものだ。

 

そのときの蛙たちが、そしてその池そのものが、

長い間見たい見たいと想っていた私の気持ちに応えるように、

『今なら見えるよ』

『見ていいよ』

と、あとから考えれば考えるほど、呼んでくれたような気がしてならない。

 

カメラを構えられる位置が限られていることと日差しの関係上、

非情にわかりづらい写真になってしまったけれど、

池の水面に映っているのはこの池を所有するマンション。

表側からは、一切この池の姿は見られないようになっている。

 

28

 

それ以外にも、過去にタイムスリップしたような光景を目にした日。

まさに時空をすり抜けたような一日だった。

アルバムの中のペパーミントブルーの店があるビル、

駐車場に横の古いアパート、エノコロ草が生えた駐車場も、今はもうない。

 

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アルバムはメインサイト路地裏の花たちにて。

 

 

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2007/12/09

静寂の音(38)

03

 

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この日は、麻布十番から善福寺を抜けて仙台坂を上がり、

有栖川公園で紅葉を撮って、元麻布から帰るという定番ルート。

 

12月だというのに夏のような日差しと気温で、風も強いのに歩くと汗ばむほどだった。

この日、初めてのセンチュリアを入れていたのだが、

善福寺のこの大銀杏と青空には最適なフィルムだったかもしれない。

いつも使っているアグフアは、空はそんなに得意ではないから。

 

24

 

特に紅葉をあてに出かけたわけではなかったのだが、

公園ではこんなに鮮やかにもみじが色づいていた。

立ち止まっていれば風も太陽も適度に心地よくて、

今まで体験した中で、二番目に素晴らしい快晴の日。

すべてのものが輝いていて、神聖な空気が漂うほど。

いつもなら撮っていないときはずっと歩きっぱなしの散歩なのに、

珍しく公園で一休みして天気と紅葉を味わっていたら

そこから動きたくなくなってしまったほどだ。

そもそも、子供の頃からなじみのある有栖川公園で、

こんなに綺麗な紅葉が見られるというイメージはなかった。

これならわざわざ、遠くまで出かけて撮る必要などないではないか。

それに味を占めてこの翌年、翌々年も同じくらいの次期、

紅葉を狙って足を運んでいるのだが、この2年はまったくの空振り。

最初の偶然が一番素晴らしい、というパターンの最たる例かもしれない。

 

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34

 

【柳の木】

柳の木が切られてい た。
好きだった木。
差し押さえで廃屋になっていた家のものだった。
住む者がなくなり、枯れかけては、いたのかもしれない。 
だからといって、それが切られてしまったのを目の当たりにすれば心は重い。
その柳の、春から夏は緑の葉をくぐり、
秋から冬は、寂しげにたれた枝をく ぐったものだ。

春が来ればまた芽吹き、見事な姿を見られるものと、
その繰り返しに終わりが来ることなど、
夢にも思 い浮かぶことなどなかった遠い日に。

 

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16

 

【最後の亀】

公園で写真を撮っていたら、
池の淵にいたおじさんに声をかけられた。
釣り 糸を垂れるわけでもなく、何をしているのだろう…
と思っていたところだった。
自分に言った言葉なのか判断できないほど、
ぼそり、とした呟きのような口調だった。

「亀の甲羅干し」

見ると1匹の石亀が 落ち葉に囲まれて、
まるでウトウトしているかのようだ。
カメラを持って歩いている私に教えてくれたのだろう。
ありがたく写真を撮っていると、またポツリ と。

「最後の亀」
 

一瞬、

え?

と思った。

 

落着いて考えてみればなんということはない、
ほかの亀はみんな冬眠に入ってしまい、
その亀だけがまだ残っているということだったのだけれど。





最後の亀。

 

私には、その亀が最後の生き残りのように思えてしまった。
一瞬の勘違い、そしてその刷り込みといえばそれまでなのだが。


最後の亀。

 

その日、夜になっても、翌日の朝になっても、
そのフレーズ、
そのイメージは、
なかなか頭から消えてはくれなかった。
地球上に残った、最後の一匹の亀のイメージ。

 

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33

 

マンションの建物へと続く私道の坂。
銀杏、椎、月桂樹などの木がある。

 

【マツダマンション】

私が母と住んでいた家と、叔母の家は目と鼻の先で、
幼稚園から中学校まで、私はふたつの家を行ったり来たりで育った。
叔母の家は当時珍しいアメリカ形式のマンションで、
庭もあり、子供にとってはまたとない遊び場所だった。

その敷地はちょっとした丘になっていて、
建物自体はその丘の頂上に建っていた。
裏には小さな公園もあり、庭の木々と公園の桜、
エ ントラ ンスの坂には椎の実と月桂樹、銀杏。
子供心にも夢のような場所だった。
以来今まで、その場所に戻ることが叶わぬ夢になっている。

そこは20何年か前に新しい高級マンションになり、
その後も毎日その前は通っていたけれど、
足を踏み入れるこ とはなかった。

部外者立ち入り禁止。

そんな雰囲気で溢れていたから。
もう二度と、そこに立ち入ることはできないのだと思っていた。



今朝までは。



ここ半年写真を撮るようになって、
ま たその付近に足繁く通うようになり、
件のマンションの前も、何度も往復していた。
いつもその中を見上げ、拒否され、立ち入ることな く。

なぜか今朝は気が向いて、ふと坂を上ってみた。

丘の上に行くまでもなく、
抑える間もなく、
ただ立ち止まって泣くしかなかった。

足下を見ると、銀杏の実が落ちている。
あの日、母と拾った実と同じ木の。



ここにすべてを置いてきた気がする。

 

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37

 

【最後の日】

 

最後の亀。


最後の日。


もう、撮っているものすべてが、
毎日、その日が見納めかもしれないものばかりだ。

昨日そこにあったものが、
明日にはもう、失くなってい る。

毎日どこかで。
その繰り返し。





今日の最後の日は今日。


あ の柳の最後の日
私は何をしていただろう。



せめてあの柳の木が最後に見たものが
この日の空のような
青い  青い

澄んだ青空でありますように…。

 

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アルバムはメインサイト路地裏の花たちにて。

 

 


 

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