『シンデレラの罠』
否が応でも興味をそそるその解説と作品自体の評価の高さに手に取った。
確かに本作が出された1964年のミステリ界にとっては異色であり、
衝撃的な作品だったに違いない。ぜひ当時、リアルタイムで読んでみたかったものだ。
しかしである。
仏作品ということも関係しているのかは定かでないが、
恐らくその古さが顕著に出てしまっているのが『翻訳』だ。
私が海外ものを好んで読むようになった理由がまさにその『翻訳』にある。
もちろん当然なのだが、小説というのは書き手のクセ、特徴が文体や文章に表れる。
国内でもそれが好ましく思える作家もいるにはいるが、非常に少ないのだ。
その著者の作品を読むうちに同じような言い回しが頻繁に使われすぎて鼻についたり、
誤字、間違い、言葉の重複(あるいは単に表現の稚拙さ)などが気になってくる。
いったん気になりだしたらもうダメである。話に半分しか身が入らない。
その点、翻訳ものは訳者によって多少の差はあれ、文体に最低限度のクセしか表れない。
それどころか最悪言葉自体の間違いさえ、訳者のせいにしてしまえるのである(汗)
そうすると多少の引っかかりもあっさり流せて、物語に身が入るというものだ。
そこでこの本書である。
いくら古いとはいえ・・・まるで、某ウェブページ翻訳を髣髴とさせる箇所が多すぎる!
なにしろ、訳が機械的過ぎるのだ。もしくは直訳的過ぎるのである。
そのせいで、直接の意味の中からイメージを把握するために読み直すこともしばしば。
再訳っていうのもありだと思うんですが、どうなんでしょう。
物語的には、同じく仏女流作家で、ちょうど時代も重なるアルレーとよく似ている。
アルレーといわれて手にしても、恐らく疑わずに読了するだろう。
返す返すも、出版当時に読みたかった作品だ。
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